東野圭吾さんの『希望の糸』を読了しました。東野圭吾さんの新作が出たということで何も考えずに図書館に予約を入れ、来たので読み始めましたが、そこではじめて「加賀恭一郎シリーズ」ということに気づきました!遅いですね(笑)
常に新刊は書籍の発売日などをチェックしているわけではなく、新聞や書店で気づいたら読む。。。という感じだったので。
店頭の売り場には、東野圭吾さんの色紙で「しつこいけれど絆の話です 好きなので」とありました。複数の書店で見ました。コピーから?(笑)
あまりこういうのは見たことがなかったので、シリーズでなく、完全新作なのかと思いました。とはいえ、加賀恭一郎シリーズは「麒麟の翼」すきなので、すんなり入れました。
ただ、、、加賀恭一郎シリーズにも関わらず、加賀恭一郎、ほとんど出てきませんからーー!(笑)
これを加賀恭一郎シリーズといっていいのかな?スピンオフドラマ的な位置づけですよね(笑)。内容自体はいいんですよ。
で、肝心の内容のほうですが、個人的には少し苦手な部類かもしれません。いわゆる子供の入れ違えに近いお話ですよね。私も3児の父親です。しばらくたってから自分の子供が他人の子供だったと気づいたら、自分の精神がどうなってしまうかわかりません。今回の話は、子供の入れ違えの話よりは若干ライト(?)かもしれませんが、やはり関係者の気持ちを考えるとかなりつらい気持ちになります。
子供の入れ違えの話でいうと、以前、福山雅治主演の映画『そして父になる』が話題になったかと思いますが、これは、私は絶対に見ません。あらすじを聞いただけで泣けてきます。
今回の話では、妊娠中にその事実を宣告された夫婦と、子供が大きく育ってからその事実を知った元夫婦という関係でしたが、自分がその立場であればどう考えるでしょう?
自分たちの血縁ではないと知った場合、やはりそのまま育てるでしょう。
自分の血のつながった子供が生まれていたと知った場合、どう行動するでしょう?やはり会いたいとは思うでしょう。仮に会えたとして、そのあとはどうでしょう?それで満足ができるでしょうか?これまで子供が欲しかったが恵まれず。。。という状況だったらなおさらでしょう。
なかなか起きえないことではありますが、実際にそうなったと想像した場合でも答えを出すことができません。
それぐらい難しい精神状態に陥ることは間違いなさそうです。
「実は本当の親子ではなかった」というような類似の事例は現代社会でも少なからずあると思われますが、普通に生きているとそのようなことを考えることはないので、よい機会でした。