しかしまあ、なんですねぇ。。。毎日悩みを抱えていると、生活にも支障が出てきます。
年明けてまだ1週目にもかかわらず、仕事も集中できず、寝つきも悪く、たまに意識が遠のく気がする今日この頃。これまで感じたことのない状況に危機感を感じています。
昨年末に1年を振り返り、新年の目標を自ら立て、今年も頑張ると意気込んで始まった新年。年明け早々に、その意気込みがかき消され兼ねないと感じ、不安が押し寄せてきました。
昨年末から、「自分は適応障害と思われるため、得意な分野でそれなりに活躍できればそれでよい」と意識を高めたにもかかわらず、仕事・業務が不得意分野に流れていきそうな雰囲気。。。ストレスの原因を回避する環境を構築しようと考えた矢先に、その原因に突き進んでいくしかないのかと感じたこの数日。
その先を考えるだけで動悸が。。。。勤務中も脳が委縮し、頭痛。出勤前もそのことを考えると若干意識がフラっと。。電車のホームで立っているときにふらっと仕掛けたので、さすがに恐怖を感じました。逆に我にかえるという。。。
ここまでの状況はこれまでに経験がない気がします。これは早急に対処しないと、危険な雰囲気。。。。不安を感じつつも、多少なりとも冷静に考えることができているのは、自分が「適応障害では?」という自覚があるためだと思っています。
自覚がない場合、ただただ不安が募り、ストレス解消や問題解決ができず、鬱になり、社会から離脱してしまうのではと思います。
独り身だったり、若い場合、そのようになっても仕方がないのかなとも思います。
私の場合、仕事ができなくなったら、家族が困ることになる。それを考えると、何が何でも仕事を続ける必要があるため、この状況を何とかして打開しなくてはならないという気持ちが強く働きます。さらに「自覚」もあるため、少しの症状でも危機感を持って、冷静でいられるのかもしれません。
自分が「適応障害」かも?と冷静に分析できるようになったのは、著名人がいわゆる「カミングアウト」して公表してくれたことなどが大きいのかもしれません。本当かどうかはわかりませんが、ナイナイの岡村さんや、キングコングの梶原さんなど、「頭がパッカーンとなった」と面白可笑しく、その経験を話してくれています。先日も、ロンドンブーツの田村亮さんも「適応障害」と診断されたと、相方の淳さんが話されていました。
「同じような症状を自分も感じている」と思うことができたら、その時点で「自覚」に変わります。結構早い段階で自覚できることは本当に重要です。まだ冷静に対処できる機会が多くなります。
「適応障害」について調べていると、やはり「ストレスを受けやすい人」がなりやすいと。ストレスを受けやすい人の特徴として、
・完璧主義者
・心配性な人
・真面目な人
・責任感が強い人
・ネガティブな人
・考えが頑固な人
・繊細
などがあるようです。全部当てはまっている。。。
実は数年前にも鬱と思われる症状がでた時期があります。「完璧主義者」であった私は、100%の結果を出さなければいけないと考え、何に対しても必死で取り組んでいました。結果が出るものであればよいですが、結果が出ないものに対しても何とかして100%にしなければいけない。やり方がわからないものに対しても。。。何をすればわからないものに対しても。。。と出口のない課題を抱え込み、闇に陥りました。
しかし、気づいたのです。。。実のところ、みんな100%を望んでいるわけではないということを。。。80%であれば問題なし。早ければ50%でもいい。。逆に、100%でも時間をかけすぎると意味がない。。。などなど。
それから考えが変わりました。ある意味「手を抜く」ということを覚えました。
「手を抜く」という表現は、完璧主義者の私にとっては、「悪」そのものです。できない人の称号です。しかし、周りは案外そのようにも思っていません。不十分でも早くフィードバックし、改善していけば、よりよい結果に導くことができます。
そのように考えることでだいぶ楽になりました。
自覚することで、「うつ」や「適応障害」は対処できる場合があります。できない場合は。。。なかなか難しいのですが。。
いずれにせよ、今現在、また出てきたこの症状を何とかしないと感じながら、気持ちの整理のために、この記事を書いてみました。
ネガティブに考えてしまいがちですが、仮説的に、ネガティブな状況をポジティブに転換する術はないのか?を冷静になって考えてみようと思います。(おっ!この考えはポジティブですね!?)
ちなみに「脳の老化を99%遅らせる方法」という本を読んでから、頭が混乱したときに頭の中を抽象的にイメージすることができるようになりました。そのようにイメージすることで、悩んでいることより、その時の頭の中のイメージに意識が行くことになり、少し冷静さを取り戻すことができます。例えば、「今、頭に強いプレッシャーを感じているが、これはあれがこうなって、これがこうなって、そのような状態になっているから、頭がキューっとなっているんだな」と冷静に分析しているのです。